時間と空間

時間はない。生命の連続が一つの時間である。

空間はない。生命の連続が一つの空間である。

力はない。生命の連続が一つの力である。

(注意:ここから眠くなる内容です。宗教哲学が好きな方のみどうぞ)

私たちは、自分は自分であって他のものとは違う独立した存在だと考えたがるが、無限という連続した生命に捕らえられている。いや、連続する唯一無限の生命、それ自身が私たちであることが分かる。

あなたは今、生命を持っているか?持っていれば間違いなく、時空を統べ、大宇宙を想像したあの力、生命エネルギーそのものであって他の何者でもないのだ。無限の存在である限り、他のものには決してなり得ないのだ。他のもののような気がするとすれば、単に勘違いして、自分でそう思っているだけのことだ。

その私たちは現にこうして生きていて心を持っている。すると当然のこと、唯一無限の生命エネルギーの意図に沿ってこの宇宙が展開していると考えられる。

私たち自身がこうして生きているのが、唯一にして無二の生命エネルギーの意図の一つであり、それが動いてる姿なのだ。そのエネルギーが振動して肉を作り、血液を還流させ、神経を接続し、関節を動かし、五官を通して地上の世界で意図的に活動しているのだ。

私たちがその思いを歌で表現する時、声帯がなければ歌にして歌えないだろう。同様に、最高の存在である生命エネルギーがその思いである愛そのものを表現しようとする時、人間が必要となり、さらに人間同士が自由に愛を表現しあいながら、愛そのものである生命エネルギーとの間でも愛の語らいができるようにと、自由な意志を持った人間を創ったのである。

私たちは小指の先が痛くても、自分の痛みとして感じる。同様に私たちがこの世でお互いに調和しないでいる時、一つとしての存在である生命エネルギーはそれを自分の痛みとして感じているのである。このあわれみ深い父のご意志に自分の意志を合わせるようにして生きていく、それが信仰。

自分の意思を、私たちの全てを包む唯一で無限の生命エネルギーのご意志に合わせようとする魂によってのみ達成される。それ以外には、何代にもわたって延々と続いていく原因と結果の拘束の外に出る方法はない。

そこで私たちの誰もが、いつの日か、自分たちの故郷に帰るために、自分の意思で行為するカルマの道を離れて、ご意志を行うという全託とか、帰依といわれる道を辿るのである。