インディアンの祈りと、宇宙の真理 ワカン・タンカ

ネイティブ・アメリカンの聖地巡礼で使っていた、レムリアンシードクリスタル。マウントシャスタの小さなクリスタル屋さんで、パワフルかつ心地よいバイブレーションに惹かれて以来、巡礼中の祈りのお共になりました。

そこの店員さんは何年もシャスタ山中でキャンプ生活をしていて、UFOにも何度か遭遇したそう。この周辺ではそう珍しくない話なのだけど、やはり実際に会った人の話を聞くとドキドキする。

不思議なことに(不思議じゃないのかもしれませんが)、アメリカ先住民が祈りを捧げていた聖地へ行くと必ずと言っていいほど、天然の水晶に出会う。サウスダコタ州にあるラコタ族の聖地ブラックヒルズでは、大きなローズクオーツが地中から顔を出していたり、ユタ州でも崖から滑り落ちそうになってしがみついた岩が欠けて、岩の中から見事な水晶のクラスターが出てきたり。ネバダ州の霊山スピリットマウンテンでも水晶があったとの報告あり(私はトゲトゲの薮に辟易して途中でパスしたのですが、今ちょっと後悔)。

人間が惹かれるのか、水晶が呼ぶのかは分かりませんが、水晶と聖地には深い繋がりがあることをこの旅でずっと実感していました。花崗岩(水晶)あるところ聖地あり

レムリアンシードクリスタルのレムリアとは、古代に存在したとされるレムリア大陸のことで、今のハワイ周辺の太平洋上にあった説と、インド洋にあった説の2種類がある。さらに、その太平洋にあったレムリア大陸が火山の噴火により崩壊した後、シャスタ山、エジプト、アンデス山脈の地下にコロニーを作って今もレムリア人が暮らしている説。

そしてレムリア人は、高い精神性を持ち、テレパシーでの会話や宇宙や多次元との交信をして、智慧を得たりヒーリングをしていたという。また、争い事を好まず慈愛の精神に満ちた平和的な人種でした。(マダム ブラヴァツキー情報)

オカルトと言われてしまえばそれまでですが、ネイティブ・アメリカンのシャーマンやハワイのカフナについて調べていると、驚くほど共通した教えや深い思想、そして宇宙の真理が見えてくるのです。あとレムリアの巨人伝説やテレパシーについても、アメリカ先住民が残したペトログリフを見ていると否定する方が難しい。大槻教授からは全否定されそうですが(笑)。

目の前に見えることのみが真実で、物質重視で生きる現代人にとっては信じ難く、忘れてしまった能力。テレパシーが使えなくなった理由はまた次回お話するとして・・・

ネイティブ・アメリカンの話に必ず出てくる、グレート・スピリットとかワカン・タンカという言葉。ワカン・タンカはスー族の言葉で、「大いなる神秘」「宇宙の真理」「この世の創造主」を意味している。

アメリカ先住民のとりわけメディスンマンやシャーマンと称される人々(自分でシャーマンやヒーラーとは言わない)のメッセージは、謙虚さと愛情に溢れていて、こうすべき!と相手をねじ伏せるような主張は見られない。自然体であることが、共通する大きな特徴。

そして、すべての教えの背後にはワカンタンカの思想が根付いている。それは、この創造主の元では人間も動植物、鉱物などすべては平等で兄弟姉妹であるという考え方。

西洋社会が「無生物」と呼ぶもの、岩、宝石、衣類、家具や建物などを、我々の民は生命体と見なしている。内部に息づいているものは、生きているからである。例えば我々は、石や岩のことを「岩族」と呼ぶ。母なる風の教え ベア・ハートより)

オッケーグーグルがない先住民たちは、自分の身の回りにある全てから学び、山の中で独りビジョン・クエストをすることでインスピレーションを受けたり未来のビジョンを観たり、ワカン・タンカに祈ることで深い智慧を得ていた。やはり彼らは、すべての答えは自分の中にあることをよく知っていたのだと思う。本当の心の強さとは、正直な自分と常に向き合い、受け入れ、愛すること。自分を100%信頼できれば、何も怖いものはない

最後に、インディアンとワカン・タンカ(神)の関係がよく分かる詩を見つけたのでシェアします。

インディアンは祈ることを好んだ…彼と大いなる神とのあいだにはなにも存在していなかった。瞬時にして両者はふれあうことができ、その関係は個人的なものであって、ワカン・タンカの祝福は、さながら空からの雨のごとく、インディアンの頭上にふりそそいだ。ワカン・タンカというのは、超然としているものでもなく、隔たれているものでもなく、ましてや求めて悪の力をこらしめるようなこともなかった。動物たちや、鳥たちにたいしても、彼は、罰など与えたことはなく、同様に、人間を罰したこともなかった。彼は、お仕置きをするような神ではなかったのだ。だからこそ、善の力のうえに君臨する悪の力に関してなど、一片の疑問すらおこりようもなかった。支配する力はただひとつのみであり、それこそが善なのであった。

ルーサー・スタンディング・ベア/オグララ・スー
Luther Standing Bear, Oglala Sioux
北山耕平さんのTweetより)


・・・最後にしたかったんですけど、この詩を今一度読んで、クリスチャンなら絶対知ってる有名なお話「Footprints(足跡)」を思い出しました。

ある人が、神様と一緒に浜辺を歩く夢を見ていた。暗い夜空の向こうには、自分の人生が映し出されていて、いつも浜辺には2つの足跡があった。ひとつは自分、もうひとつは神様。でも、自分が1番苦しい時の場面で後ろを振り返ると、足跡がひとつしかない!!

「なんでー!?私を見捨てちゃったのー!?神サマー!いつも一緒にいるって約束したじゃん!」と神様に言い掛かりをつけた。

すると神様は「何をそんなに取り乱しておるのか。私はあなたをいつだって心から愛しているし、決して見捨てたりしない。私はその時、君を背負っていたんだよ」

・・・というお話。

一部のクリスチャンからは「地獄に落ちれ!」と言われそうですが、個人的には先住民が想うそれと近いものを感じた次第です。